つれづれなるまゝに

「日ぐらし硯に向かひて」
吉田兼好のように
暇に任せて一日中机の前に向かって
「書き付くれば」なんてことはないが
今日は
「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく」
(心に浮かんだことを適当に)

支離滅裂に書き綴っているので
以下は。。。


ほぼ毎日1日中家に滞留していることはなく
なにかと外へ出る
小さい人の保育園送り迎えをはじめ
時には夫と昼食を外で
時には友人との待ち合わせ
時には・・・
そんな昼下がりのスペインバール立呑み


こうやってパソコンに向かって
日々の事を振り返り色々考える
心に浮かぶのは後悔も多く
公にするほどの事もないけれど
今日は「つれづれなるまゝに」なので


先日友人が「みんな さみしがりやさんだから・・・」
と言っていたのが色々な事の本質だと思った


なにかにこだわる こうじゃないといけないと思っている
こだわる事をやめたら 面白くない のだけれど
本当はどーーーーでもいいと思う
ムッシュかまやつゴロワーズを吸ったことがあるかい」
の歌詞が素敵だと思うのだけれど
「そうさ何かにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として幸せな道を歩いているだろう 」
これぐらい狂ってたら面白いけど
他者へ対する「こうじゃなきゃ!」っていうこだわりは
了見が狭いというか 自分が価値基準で周りが見えなくなる
という危険をはらんでるんじゃないかと 思うわけで・・・


「こうじゃなければいけない」と心のうちに秘めているだけ
ならいいのだけれど
をれを主張するというのは それは「さみしがりやさん」だろ
ほめてほしいのか? 同調してほしいのか?
気持ちはよくわかる 私もさみしがりやさんだから(笑
そういうのを違う形で発散できたらいいのにな と思う


私は何かを知っている 私はこう思う 私は 私は 
みんなどこかでさみしいんだな・・・


寺山修司「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない」
想像力を羽ばたかせよ!ではなくて
想像力はすでに羽ばたいている と解釈したい
羽ばたかせないとならない ではなく既に羽ばたいていた


私はうちの小さい人に
こういう大人になってほしい と思わない事にしている
っていうこだわりなんだろうか?
いや そんなことはどうでもいい事かもしれない


さ そんな夜は呑みに出よう
夜はやさしいから